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北辰一刀流の真実 第2巻

1 :名無しさん@一本勝ち:2007/03/23(金) 13:11:52 ID:BpOQTRWz0
前スレが落ちてしまいました。
引き続き、現玄武館と水戸東武館、保存会など伝承とその真相について、教えてください。

2 :名無しさん@一本勝ち:2007/03/23(金) 14:33:48 ID:HMalWZGN0
40 :名無しさん@一本勝ち :2007/01/04(木) 00:08:24 ID:4PjBOVJI0
私見をいいます。
小西師範が宗家であるという見解はいかがなものかと思います。
その理由として、千葉家当主から正式に道場と道統を受け継いだ事実はないからです。
ちなみに千葉道三郎は明治五年に亡くなっているのですが、その後、旧玄武館門人である
山岡鉄舟と井上延陵(鉄舟の師)の後押しによって、明治十六年の秋に東京神田において
玄武館が再興されています。当時の新聞にも大体的に報道されています。
この時の当主は栄次郎の息子である之胤で、明治二十年頃から警視庁撃剣世話掛をした後、
大正二年まで存命です。
その子息である栄一郎は千葉周作遺稿を執筆したひとですが、剣道はやらなかったようです。

小林四郎というひとの養父である小林定之は、大日本武徳会剣道範士であり流儀も北辰一刀流で
あることに間違いはありませんが、それをもってして宗家を名乗ることは出来ません。
門奈正と内藤高治によって推挙されたといいますが、いかに流儀内と剣道界の重鎮であったても、
ふたりとも水戸東武館出身であり千葉本家の人間ではないため、宗家を決定する権限はなかったと
思われます。
ただし小林四郎が門奈正に目をかけられていたのは事実のようです。

以上のことから小樽の玄武館は千葉家による玄武館の流れとはいえません。
北辰一刀流の流れを汲む同名称の道場であるといったところではないでしょうか。
現在まで技が伝承されているかについては、門人でない私には分かりません。

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